大魔神佐々木…おそらく大洋〜横浜にかけての球団の歴史の中で
最も世間に認知されている選手であろう。

腰に故障を抱えながらも説得されて入団。
当初は先発したこともあったが
ストレートとフォークという球種の少なさから
抑えとして起用されると頭角を現し
97年の快進撃(結果2位)、そして98年の日本一…
彼の活躍抜きでは語れない栄光がそこにはありました。
またその数字以上に相手の戦意を削ぐ程の存在感が大きく
相手は終盤焦り、味方は佐々木に繋げと団結出来た。

日本一を成し遂げ00年にはFAでマリナーズに移籍。
新人王を獲得するなどメジャーでも抑えとして
通用する投球をみせ「DAIMAJIN」と称えられた。

しかし…年齢・怪我…抑えとして投げ続けるのと
引き換えに消耗していくのも早い。
メジャーで思うような投球が出来なくなり退団。
「家族のため」と横浜に復帰する。

2年13億。それが横浜が(TBSが)佐々木に提示した条件。
これが苦しむ佐々木をより苦しませた原因ではないだろうか?
日本で活躍した佐々木がメジャーでも活躍出来たという事は
日本の野球だってかなり近いレベルにあるという証拠。
メジャー失格の烙印を押されて帰ってきた佐々木の投球が
易々と通用するほど甘いはずがなかった。
ヤクルト戦での3連発…引退を口に出したが説得され翻意。
肘を手術して05シーズンに向けて調整した。

しかし…開幕から抑えの座に当然の如く座っていた佐々木だが
それは競争の結果からではなく”配慮・遠慮”からだ。
そんな投手が抑えという重要な場面で抑えられる訳がない…
試合を壊し続ける佐々木。遂に2軍に降格。
膝を手術してオールスターまで復帰を目指していたが
それも厳しいと判断した佐々木はせめて故郷仙台で
母を始め家族の前で清原との対決をと望み
現役時代同じ抑えとして活躍した牛島監督はそれを了承。
1打席限定での清原との対決を引退登板として捉え
ペナントレース中、相手の主催試合と異例の登板となった。

私個人の感想としては…
優勝を向かえるまでの数年間は佐々木を頼もしく思った。
当然だ。ここまでの圧倒的存在感を示してくれる投手は
私が生で観た事のある投手の中では彼が最高だった。
「出れば抑える」当たり前のように語られる苦しい情況とて
むしろ楽しんでいるように見える(実は小心者なのだが)。
他球団に誇れる実績を残す数少ない選手であった。

97年、私は大学生活最後の1年を送っていた。
就職も早々に決まり(理系だしね…)卒論もメドが立っていたので
暇さえあればスタジアムに足を運んでいた。
9月のヤクルト戦、メガホン投げ込み事件。
あの時は雨の中内野自由でその光景を見つめていた。
試合再開しての敗戦。優勝は事実上消えた…
佐々木の投球内容はこの年が最高だったと今でも思う。

98年、就職して超多忙な生活(と呼べるものではない…)で
野球どころかTVを観る時間すら無く…8月初めに退社。
そこからの3ヶ月はベイスターズと過ごしたと言っても
過言ではない勢いで観戦していた…
大洋からAクラスにすら入れず「横浜大洋銀行」と言われた
あの弱いチームをリーグ優勝、日本一に引き上げたのは
選手全員・首脳陣の功績だがやはり「大魔神」の存在あってこそ
権藤監督の言う”横浜の野球”が出来たのは間違えない。
登板数も多く父親の死もあり疲労も極限にあっただろうが
「優勝出来ないチームの抑えなど無意味」という言葉に
反発するかのように佐々木は抑え続け45セーブを積み上げた。

99年、その反動から故障。シーズン半ばで手術を受け、
オフにはそのままメジャーへと移籍。
この時点で私は佐々木への感謝も完了したと思った。

私的にはメジャーで活躍する佐々木を観ても他人事で
他の日本人メジャーリーガーと同列にしか思えなかった。

チームが好きな私は、チームを去った佐々木より
現状の横浜ベイスターズにしか興味が湧かなかったのだ


そして降って沸いた復帰話。
メジャーで失格と言われたから戻ってくるだけじゃん…
家族の為なんて綺麗事は聞きたくない。
ギャラードがいるチーム事情で戻ってこられても迷惑。
はっきり言って今でもその思いは消えない。
そして140キロに届かないストレートでも
無条件で抑えを任される。腐るギャラード。
チームの勝利を最優先と考えれば明らかなマイナスだ!!
シーズン半ばで打たれて引退か?となった時
そうあの時辞めておけば良かったのだ…
どんな名選手でも引き際を間違えると印象が悪い。

そして今年…私は牛島監督なら「佐々木無条件抑え」など
しないと願っていたが…周囲からの無言の圧力もあるのだろう…
結果チームのスタートを挫く投球を連発。
プロなのだから実力が無いものが去るのは当然。
そこには過去の実績も給料の高さも人気も関係無いのだ!!
私は完全に不良債権化した彼を憎み早く引退しろと思った。
そして今回の引退。正直決断が遅いと思うし
更に言えば佐々木さえいなければ勢いがついていたであろう
チームが何とか凌ぎながら5割にAクラスに喰らい付いて
戦っている中で、いくら母親の病気などを考慮したとしても
ワガママが過ぎるのではないか?
清原が涙しようが私には何の感動も無かった。
真剣勝負への侮辱だとすら感じた。

正しいファンの皆さんは「ありがとう大魔神!!一生忘れない!!」
なんて美しい言葉を吐かれるのであろうけども私は違う。
中1日で先発させられた秦は?
2回1死から”先発”させられた門倉は?
彼等にとっては迷惑な話だし巨人とて自分の主催試合で
何ゆえ相手に配慮せねばいかんのだと思っているだろう。
そんなお遊びは10月だから許される事なのだ。

ペナントレースでしかも4連敗とチームが苦しんでいる中で
そんな事している余裕があるのか?
ヤクルトが抜け出す体勢を整え始めて
中継ぎが崩壊しかけている横浜をそれを追えるのか?
結局下位に沈めばそれが原因で退団に追い込まれる選手だって
いるんではないか?

脈略の無い文章をこうやって書いているうちに分かったのは

私の中で99年終了と同時にメジャーに渡った時点で
佐々木との決別は終わっていたのだ…
そこから帰ってきた佐々木はかつての佐々木とは別人物で
チームに不利益しかもたらさない存在になっていた…
それは大魔神佐々木ではない


だってね…98年のチーム力が残っていた99年や00年には
まだ優勝出来る戦力情況だったんですよ。
そんな中で出て行った佐々木。もちろん彼のかねてからの
希望であったしその条件としての優勝もクリアしたのだから
しょうがないとは思いましたけどね…
言ってもしょうがないことだけど99年手術で復活した佐々木が
横浜に残っていれば少なくとも3年は全盛の力での投球が
出来ていた訳だし谷繁が移籍する事もおそらく無かった。
と考えれば01年あたりに優勝出来ていたのかなぁ?とかね。
チームの勝ちを最優先の私からすればそう思う訳ですよ。

色々書きましたけど…
過去の実績に疑いは無いし
ドタバタしたけどまぁ引退という事になった訳で
「お疲れ様」という言葉が適当かなぁ?

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